テーマ1「死後の世界」 (3)仏教の見解
<ざっくり言うと>
◆現在の仏教は、教えと実際の行為にズレがある
◆教えでは霊魂否定なのに先祖供養や葬式に縁が深いとイメージされている
◆仏教の全てが地獄極楽を説くわけではなく、子細は各宗派で異なる
- 仏教のイメージは一般と僧侶で違う?(教義と習俗)
- 仏教は「死後の世界」について答えない?
- 死後について、わかりようもない、むしろ…
- 地獄や極楽って仏教じゃないの?
- 宗派によって、死後は違うの?仏教って?
- 仏教、あるいは仏教的考えと霊魂学との死後観の違い
仏教のイメージは一般と僧侶で違う?(教義と習俗)
ここで仏教とあげましたが、
身近な日本仏教の立場を整理してみます。
日本では、仏教やお坊さんと接する機会になるのは、葬式、法事、お盆などになります。
なので、仏教は葬式や人の生死、先祖供養に関係の深い教義をもつと想像してしまいますが
仏教はその教えにおいて
「死後の世界を明言できない」
「先祖供養は本来の仏教の教えではない」
となっており、
葬式などの法要やお盆で、先祖の霊の供養するイメージとズレがあるようです
仏教関連の本では、これを「教義と民俗(習俗)の違い」といって説明しており、イメージのズレのあることは感じているようです。
しかしこれは、ともすると「言っていることとやっていることが違うのではないか」と言われかねないこととなるため、葬祭、葬式を仏教として行うことの意味をそれぞれの立場で検討されているようです。
(※ 文献リスト参照)*1
仏教は「死後の世界」について答えない?
さて、その死後の世界についてですが
仏教において、とりわけ現在の日本の仏教で、
「死んだらどうなりますか」「死後の世界はありますか」
という質問を投げかけますと
インターネットなどで「仏教、霊魂」「仏教、死後の世界」で検索してもほぼ同じ話に行き当たりますが、「無記」というお釈迦さまのお話を出されて説明されることが多いようです。
簡単に言いますと
お釈迦さまは弟子に問われて、
死後の世界があるかないかとか
死んだらどうなるとか
そのような形而上的な問題にお答えにならなかった。
※マールンクヤの毒矢の喩え(ニカーヤ 中部経典63 ほか)
えっ?そうなの? (そうなんです。)
死後について、わかりようもない、むしろ…
この話の解釈は立場によって若干の差異があるようですが、
次のようにまとめられるようです。
「人には死後のことなど分かりようもないのですから、
考えても答えの出ない事柄に関わって悩むより
自分を見つめて今を大切に生きましょう。
そして、仏教の深い教えを学んでください」
となるようです。
(なんかむずかしい…)
この話に限らず、仏教に関連のある輪廻転生、六道輪廻、先祖の霊の供養も、現在の仏教では、
それは死後の世界という特殊なことを言うのではなく、
まさに今の世界のことであり、
みなさんのこころのありようを指しているのです
というお話にまとめられるようで、
霊や死後の世界という不確かなことには触れない、という方向での返答が多いようで、お話自体は現実的かつ堅実で立派な内容ですが、
突き詰めると現在の仏教自体は「死後」についての明確な説明ができない、と言っても過言ではないかと思われます。(浄土宗、浄土真宗など一部を除く、後述)
なお私個人の感想としては、お釈迦様は「対機説法」といって、聞く相手に応じて話の内容や説明の方法を変えていたとのことですので、「毒矢の喩え」「無記」を仏教全般の原理原則にしていいのかどうかは疑問にも思います、が、この話を全般化した仏教の説明が散見されますので、実際はそういう解釈なのかと思われます。
地獄や極楽って仏教じゃないの?
とはいうものの仏教にはもうひとつの答えもあるようです。
いわゆる、地獄、極楽 という、
平安時代に源信が著した「往生要集」という書物をもとに大いに広まった死後観があります。
現在、日本人や仏教信徒のイメージする地獄極楽のイメージの元ネタとなるようです。しかしながら、この「往生要集」は浄土教の考えから出ているもので、仏教の各宗派が地獄、極楽を認めているのではなく、他宗派では仏国土という言葉が極楽に近い意味で語られることがあるなどの状況のようで、地獄、極楽は仏教の一般見解とはいえないようです。
また、三途の川、閻魔さまの審判(十王信仰)は主に中国にもともとある死後観が仏教に加味され日本に来たようで、そういう意味では日本での仏教的な死後観は仏教本来の死後観ともいえず、仏教伝承の過程でその地域の文化が加わってきたハイブリッド(他の異なるものが組み合わされた)な状況にあるようです。
宗派によって、死後は違うの?仏教って?
おおむね「無記」を重んじ、一部を除いて積極的に死後の世界を語らなくなった日本仏教ですが、死後観の子細は宗派によって異なるようです。
死後観で独自の見解をもつものとしては、
・浄土宗・浄土真宗…「往生要集」が浄土教からきていたので極楽往生が積極的に語られております。ただし浄土真宗においては、地獄、極楽のうち、「地獄」はないことになっており、地獄とはむしろ現世のことで、死後は阿弥陀様の本願にしたがって「お浄土」におもむくとのことで、死後の地獄は無いようです。
・真言宗……死後の世界や霊魂についてわりと肯定的のようで、これは他宗派に比べてめずらしいことのようです。
なお、他の宗派は、仏教としての教義とされている
「無記(不確かなものについては語らず)」
「無我(何かが変わらずに存在するとは言えず、なので霊魂があるとか、
死後の世界があるとか言いきることはできないものである)」
を尊重し、死後の世界や霊魂を積極的に語ることはなく、保留にされているようです。
結局、多くの宗派は必ずしも明確な死後観をもっているわけでもなく、時代に応じて考え方を整理するなど今後の課題となっているようです。
仏教、あるいは仏教的考えと霊魂学との死後観の違い
ここで大まかに死後観の整理をします。
仏教、あるいは仏教的考え | 水波霊魂学 | |
---|---|---|
死後の世界 | 「極楽」(仏国土)、「地獄」 あるいは生まれ変わる前49日間の中有界 |
「幽質の世界」 霊的身体「幽体」を作っている幽質で構成された世界 |
死後の世界の説明 | [説明] ・浄土教関連は「地獄」「極楽」 ・浄土真宗は「極楽」のみ ・多くの宗派では無記のため語らず、あるいは仏国土とおおまかに説明 ・49日で新たな縁を得るという場合のその期間過ごす「中有界」が該当 |
[説明] ・死後の世界に住む霊魂の幽体の性質により結果として多くの階層に分かれた模様 ・なお、もともと地獄はなく、死後の人間によりつくられたとのこと |
死後どうなるか | ・因果応報の考えが背景にあるため生前の行いによって報いを受けるとの信徒のイメージ ・浄土真宗は阿弥陀様の本願により全員極楽へ |
・霊的身体である幽体のコンディションによって行く世界が異なる(死後の世界の法則) ・生前の行いの善悪が幽体のコンディションに直接関係するとはいえない |
※水波霊魂学では、いくつかの霊的身体に言及し、人にとってもっとも身近な「幽体」のコンディションによって死後おもむく世界に違いが出てくることを示唆しております。
幽体のコンディションとは、善悪の行為やこころのあり方とは、無関係ではありませんが、直接の関係は薄いようで、霊魂によれば、こころも大事ではあろうが、霊的身体のコンディションを良くするということの理解が少なく、その理解がたいせつであるのに、とのことだそうです。(文献リスト参照)*2
この世や、今生きてある世界はもちろん重要なものですが、死後を考えるのでしたら、この世的な価値観だけでは語ることのできない様々なことも予想され、そのような世界の一端に踏み込んで学ぶことがあってもよいように思われます。
最後まで読まれた方には感謝の念に堪えません。*3
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*1:
※ 文献リスト 1
「葬祭 現代的意義と課題」曹洞宗総合研究センター編・刊 2003年
「お葬式をどうするか -日本人の宗教と習俗 」ひろさちや著 PHP新書 2000年
Webサイト 現代の伝統仏教の「死後の世界」観 | 宗教情報センター 2014/10/18
*2:
※ 文献リスト 2
「霊的生命体として」水波一郎著 Amazonオンデマンド 2016年
「たましいの救い」水波一郎著 Amazonオンデマンド 2016年
*3:本記事は契山館に所属し水波霊魂学を学ぶ、いまだ学修途上のメンバーによるものです。したがいまして内容は会の公式な見解ではありません。書き込み者の自由な書き込みを期待する為に、内容については原則として会は干渉していません。誹謗中傷など、誤解を受けるような部分がある場合等を除き、書き込みをする人達の見解を掲載しています。
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