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水波霊魂学が案内する霊魂研究への旅

霊についての各論各説を比較検討する「霊魂研究」のブログ

テーマ1「死後の世界」 (2)キリスト教の見解

<ざっくり言うと>
キリスト教各派では諸説あり、統一見解を得るには至っていない
◆死後向かう世界はあるが最後の審判までの一時的な場所 
◆霊魂の世界や霊がどうであるかより、再臨、復活、最後の審判が優先的に話される

 

<目次>

はじめに

“死後の世界”の捉え方について、キリスト教各派では諸説有り、各教派間の統一見解を得るには至っていないようです。

 

ここでは、一般的と思われる見解を参考にしながら述べさせて頂きたいと思います。

 

死後の世界、それぞれ

人は死後、神の裁きを受け(私審判)、以下のような場所へ行き、キリストの再臨を待っているとされます。

 

● 天国:

神にまみえる場所。罪を犯さなかった者。または軽微な罪を犯したが、浄化された者が入る場所。または最後の審判で赦された者が入る。

 

● 煉獄:

地獄に堕ちる程では無い、軽微な罪を持つ者が入る。ここで責め苦を受け、魂が浄化されたなら天国へ入る事が出来る。
(この世の人間が、煉獄にいる死者の罪の軽減の為、祈りを捧げる事が有る)

 

● 辺獄:

洗礼を受けられないで亡くなった、原罪以外に他の罪は無い者が入る。洗礼を受けないで亡くなった幼児や胎児も例外では無いという。
(キリストの再臨・贖いによって救われるまで天国に行けない)

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● 地獄:

大きな罪を犯し、神に従おうとしない者が入る。燃え盛り消える事の無い劫火に焼かれる。

 

そして…世の終わりが…(最後の審判

そして、この世の終りが来た時、キリストが再臨し、全ての死者が生前の姿で復活します。

復活した人達は、キリストの審判を受け、天国、地獄へと行先を振り分けられます。

 

それを“最後の審判”(公審判)と言い、生前の行いを記した「命の書」に名前が載っていない人は、火の池に投げ込まれます。

 

この審判は、まさに最後のもので、これを覆す審判はその後、無いそうです。

 

キリストを真剣に信じ、「命の書」に名前が記され、地獄に落ちなかった人は、天から降って来る“新しいエルサレム”にて、永遠の生命を与えられ、神と共に住み、神の民に成る事が出来るとされます。

 

最後の審判”で火の池に投げ込まれると、永遠に救いは無く、終わりの無い苦しみを味わい続けます。だからこそクリスチャンは行いを正し、キリストへの信仰を深める事で、“新しいエルサレム”で神の民に成る事を目指すのかも知れません。

 

復活の思想は、新約聖書に書かれるキリストの弟子、ラザロの復活、またキリストが磔刑と成り、死後3日目に復活した事、または黙示録の記述に由来するものかと思われます。

 

キリスト教と生まれ変わり

キリスト教では、復活の思想は有っても、基本的に何度も生まれ変わるという概念は有りません。

 

キリストの示したかったこととは?

水波霊魂学の立場から言えば、キリストが示したかったのは、人は死んだら終りでは無く、死後も魂は存続する事を、キリストの復活並びに再度、昇天する事によって、示したかったのでは無いでしょうか?

 

2000年前の人達の知性には、そうする事でしか、神と人との間に有る“霊魂の世界”や“霊魂の実在”を説けなかったのでは無いかと思われます。

 

死後の世界と復活(霊魂学的考察)

◆ 善悪か、幽体の状態か

そして水波霊魂学では神の審判は無く、あの世の法則に従い、自らの幽体の状態によって相応しい世界に入るとします。

 

この世の基準で、罪を犯したから、必ずしも地獄へ落ちるのではなく、善い行いをしたから天国へ行けるという、単純なものでも有りません。

 

何故なら、この世の善悪は常に、その時代や国、文化によって変化してしまうからです。戦争では、人の命をたくさん奪った人が勲章を貰ったりもしますから・・・。

 

あの世では、上の世界に行けば行く程、霊的な意味での幸福度は増していきます。そして上の世界には限りが有りません。実在の霊的世界は無限とも言える程に、遥か上より、遥か下まで階層が分かれます。

 

上の世界に行くには、幽体の状態を健全にし、また強くすれば、幽体の輝きに応じた世界へ自然に上がっていきます。

 

仮に地獄のような世界に入っても、それは自身の幽体の状態に相応しい世界へ吸い込まれたに過ぎないので有って、かなりの努力や意志が必要では有っても、もし幽体の状態を改善さえ出来れば、そうした世界から抜け出す事も不可能とは言えないのです。

 

決して神が牢獄として閉じ込めている訳では有りません。

 

◆ 霊魂学から見た死後の再生

人は死後、あの世の存在に成ると、やがて幽体の一部が再生し、地上の胎児の中に入ります。

 

その後、成人し、老年期に入り、どんな人でもいずれ死を迎えます。再び霊魂と成り、幽体の一部が地上に再生します。

 

そうした事を繰り返し、人は誰でも複数の過去世を持っています。

 

キリストの再臨・最後の審判まで、何百年、何千年もあの世で、ただ、ひたすら待っている訳では有りません。

 

◆ なぜ、復活して裁きをうけるのでしょう?

しかし何故、人の死後すぐに私審判で裁かれた魂が、“最後の審判”(公審判)で復活させられ、再び、裁きを受けなければならないのでしょうか?

 

“死者の復活”とは、人が死後、地上での生活を卒業し、霊的生命体としての新しい生活が始まる事。また神の御光、恩寵を受ける事で、霊的に生まれ変わる事も不可能では無い事を示唆しているのでは無いかと思います。

 

もし仮に、霊魂としてのキリストが、あの世で実在し、救いの手を差し伸べて下さったなら、わざわざ肉体を復活させ、最後の審判を受ける必要は無いでしょう。

 

事実、霊魂としてのキリストは2000年前より現代まで、あの世の霊魂を救い、また地上の人達が真の救いを得られるよう、手を差し伸べ続けて居らっしゃいます。つまりキリストは、世界の終末の時だけでは無く、何度となく再臨されているのです。人はそれに気付いていないだけなのです。

 

最後に…希望をこめて

それでも“最後の審判”が有るとするならば、凡ゆる人が、宗教・宗派を超えた真の神を求め、全ての人に高級な霊魂方よりの御光が降り、邪は排され、地獄の魂までもが救われ、救いが完成される。そのような世の中、時代が到来して欲しいものと願います。

 

この世に法則が有れば、あの世にも法則が有ります。水波霊魂学では、人間の頭で考え、捻り出したものでは無く、あの世の法則を明らかにしようとしています。

 

あの世の法則に基づいて、あの世の入る世界が決まるだけですから、必ず◯◯教でないと救われないと言う訳では有りません。如何なる宗教・宗派・スピリチュアルの人で有っても、法則から逃れる事は出来ません。

 

幽体の霊的状態が良ければ自然に上へ上がり、悪ければ自然に下がる。ただそれだけなのです。

 

 

以上、死後の世界について、キリスト教の見解を簡潔に整理してお伝え致しました。皆様の今後の参考になりましたら幸いです。