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水波霊魂学が案内する霊魂研究への旅

霊についての各論各説を比較検討する「霊魂研究」のブログ

はじめに & 目次

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はじめに

本ブログは、 霊についての各論各説を比較検討する「霊魂研究」を目的にしたブログです。

 

しかし、そんなにむずかしいことを追求するのではなく、生活の中で「死」を意識する際、たとえばお盆とか葬式などがそういう機会ですが、そういう時、「死んだらどうなるんだろうね」というような素朴な疑問が出てきます。そういう疑問に答えうる宗教や霊を認める考えなどは、いったいどう答えるのかということを整理して並べてみようと考えています。

 

書き手は、水波霊魂学を学ぶ途中のメンバーでいまだ学修途上の身です。

ですので基本的には、

水波一郎師を霊媒として霊魂から得られた知見をもととする「水波霊魂学」の見方も紹介し、

もう一方で、霊についての古今東西の各論各説をとりあげ、比較検討していくことになるかと思います。

よろしくお願い致します。

 

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目 次 

 

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テーマ1「死後の世界」

1-(1) 契山館でお伝えする死後の世界

reikonkenkyu.hatenablog.jp

 

1-(2) キリスト教での死後の世界

reikonkenkyu.hatenablog.jp

 

1-(3)仏教での死後の世界

reikonkenkyu.hatenablog.jp

 

1-(4)スピリチュアリズムでの死後の世界

reikonkenkyu.hatenablog.jp 

 

テーマ2(現在作成中)

 

テーマ1「死後の世界」 (4)スピリチュアリズムの見解

<ざっくり言うと>
スピリチュアリズムの死後世界観は時代により随分と違う
地上の宗教や思想を反映している分、霊的世界の姿を歪めている恐れ
◆愛の実践の重視、霊的身体の説明不足、本当に霊的成長ができるか疑問

スピリチュアリズムの中でも死後世界観はかなり異なっている

 スピリチュアリズムの死後世界観は、初期の頃と中、後期とでは、また、スピリチュアリズム諸潮流によっても、見解がかなり異なっているようです。
 最初のスピリチュアリストと言われるスウェーデンボルグの場合は、死後、「霊界」に入るが、まず、中間の世界である「霊たちの世界」に入り、その後、善人は「天界」へ、悪人は「地獄」へ行くとあるように、煉獄を連想させる「中間的世界」や「天界」や「地獄」など、それぞれの定義は異なるものの、キリスト教の影響を色濃く反映しています。 よって、スピリチュアリズムの内部で長い間論争の的となる輪廻転生、つまり、「生まれ変わり」というものも否定しています。 なお、スウェーデンボルグによると、「霊界」は、無数の階層に分かれているとしており、大別すると、「霊たちの世界」も「天界」も「地獄」もそれぞれ三つの段階に分かれているとしています。
 ともかく、この「霊界」いう霊的な世界がリアルな形で存在するという考えは、スピリチュアリズムの中で継承されていきます。
 後に、カミンズという霊媒を通して通信を送ったマイヤーズを名乗る霊魂のように、神智学等に類似した、「霊界」は七つの階層に分かれているという説が登場しますが、最も後期に属するシルバー・バーチに至ると、「霊界」は一つだけであり、その中に霊的進化の程度に応じた無数の界層があるのみであると主張しています。

 

スピリチュアリズム系死後世界観の要約

 スウェーデンボルグから始まり、シルバー・バーチに至るスピリチュアリズムで継承されている死後の世界観は要約すると次のようになります。

■人間は“死”によって肉体を脱ぎ去り、「霊体」だけになって死後の世界(「霊界」)で新たな生活を始めるようになる。

■死の直後に入る霊的世界を「幽界」と言う。死の直後に入る霊的世界は、本格的な死後の世界である「霊界」と地上界との中間領域・境界的世界であり、「霊界」の最下層を指す。

■他界者はここで、生前の反省をしたり休息を取ったりすることになる。休息にともなって、大半の人間は死の自覚を持つようになる。

■「幽界」の環境が地上とそっくりなのは、そこの住人の思念が環境をつくり出した結果である。
「幽界」は、本格的な死後の世界である「霊界」に入るための準備の場所である。
「幽界」での生活を通して地上臭を拭い去ると、自動的に霊界に入っていくようになる。

■特殊なケースとして、地上時代から霊性が高く、霊的世界のことを正しく理解していた人間の場合には、「幽界」を素通りして初めから霊界に入ることもある。

■「霊界」には幾つもの界層が存在する。
本格的な霊的世界である「霊界」には、霊格の違いから無数とも言える界層が形成されている。

■他界者は自分の霊格に相応しい界層に赴き、そこで霊的親和性によって結ばれた霊たちと共同生活を送るようになる。高い界層には霊性レベルの高い霊たちが住み、低い界層には霊性レベルの低い霊たちが住むようになる。高い階層ほど素晴らしい環境となり、天国・楽園のような様相となる。

■ 「霊界」にも仕事はあるが、それはすべて利他愛の実践・他者への奉仕活動として行われている。霊界での仕事は純粋な利他愛の精神によるものであり、霊たちはその利他的行為を通じて霊的成長を達成していくことになる。

■以上のほかにシルバー・バーチは、さらに次のような見解を付加しています。 「霊界」がメインの世界で、地上界は仮の世界である。 「霊界」のすべての出来事は、「霊的成長」という一点に集約される。 霊的世界は、階層はあるものの、一つである。

■また、霊的な身体も階層によって連続的に変化はするが一つであって「霊体(幽体)」という。 霊格が等しい霊たちは融合して大きな意識体(「類魂」(グループ・ソウル))となる。

 以上がスピリチュアリズムにおける死後の世界ということになりますが、水波霊魂学の見地から見ると、多くの疑問点、問題点があります。 細部にまで触れると多岐にわたりますので、基本的な問題についていくつか述べると、次のようになります。

スピリチュアリズムの死後世界観の問題点

問題点1.キリスト教思想と近代科学思想の影響

 シルバー・バーチは、スウェーデンボルグの説について、キリスト教思想の影響が残っていると批判しています。それは的を射ているとして、スピリチュアリストが、そして、シルバー・バーチが、霊界での仕事、生きる目的は、霊たちが利他愛の実践を通じて霊的成長、進歩を達成していくことにあるというとき、そこには隣人愛といったキリスト教的な倫理観が、そして、近代科学思想である進化論が反映されてはいないでしょうか。
 そして、それは地上(物質界)の宗教や思想を反映している分、霊的世界の真実の姿を歪めているのではないでしょうか? 水波霊魂学では、死後の世界は、地上の倫理や道徳、哲学や思想とは無関係であり、地上とはまったく異なる固有の法則が支配しているとしています。

問題点2.自由意思を尊重するなら霊的成長至上主義は少しおかしい

 水波霊魂学では、死後の世界には、下層の世界を除くと、倫理や道徳や法を含め、いかなる束縛もなく、個々の自由意思が最大限尊重されるのであり、人はどのように生きようが全く自由であるとされています。 よって、霊的な進歩、向上は、本当は大変望ましいことですが、だからといって他者が、たとえ、それが高貴な存在であっても、押し付けることができず、人がそれぞれに望む自由な生き方をすればいいということになります。 シルバー・バーチは、神が創造された霊界は「霊的成長至上主義」という摂理によって支配されていると主張していますが、人は、逆に、退歩、転落する自由をも持っているのです。よって、自由意思の行使によって「幽質界」の下層へ落ちて苦しむ自由もあるのであり、現に、多くの霊魂たちが苦しんでいるのです。 とはいっても、死後の世界において、自己の霊的な成長に邁進することは最も価値のあることであり、他の霊魂の霊的な進歩を促すために指導をしたり、より高貴な霊魂に仕えたりすることは望ましいことには違いありません。 高貴な存在は、人の魂としての進歩、向上を切に望んでおられるのですが、それを選択する自由は個々の霊魂にあるということです。 よって、霊的成長、進歩は、まったく強制されないものの、幽質界の上層以上の階層においては、すべての霊魂が自主的に目指す目的であるようです。

問題点3.愛の実践で霊的成長ができるのかどうか

 さて、次に、スピリチュアリズムにおいては、地上時代のみならず、死後の世界においても、霊的成長のための利他的な愛の実践というものが非常に強調されていますが、そこには、いかなる霊的トレーニングの方法も示されていません。よって、利他行の実践という主観的で漠然とした方法で本当に霊的な成長が成し遂げられるのかという疑問が浮上します。 まず、スピリチュアリズムでは、霊格や霊性の高さをいい、それによって死後行く階層が決まるということですが、霊魂学では、そうではなく、所持している「幽体」(死後使用する霊的身体)がなじみやすい階層へ行くとしています。つまり、死後行く階層は、意識レベルではなく、「幽体」の成長度と健康度によって決まるとしています。 ですから、水波霊魂学においては、心のみの変化では霊的な進歩、向上は到底成し遂げられないとしているばかりではなく、「幽体」という霊的身体の成長と強化、健全化に着目しているのです。 ただし、「幽体」の意識面の成長、進歩を決して軽視しているわけではありません。 だからこそ、人という霊的存在は複雑であり、肉体のほかに「幽体」とその意識を所持し、さらに、より高貴な「霊体」(スピリチュアリズムでいう「霊体」とは異なる)という身体と意識を所持しており、それらを包括的に成長させるために、それにふさわしい霊的トレーニングを行わなければならないと主張しているのです。そのために、神伝の法、すなわち、神伝禊法、神伝鎮魂法が宣布されているのです。

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問題点4.霊的身体についての説明が足りない

 さらに、もう一つだけ言いますと、死後の世界、つまり、「霊界」は一つであり、霊的身体も一つということについても疑問があります。 水波霊魂学でも、確かに、「幽質界」(スピリチュアリズムにおける「霊界」を指す)は一つであり、多くの階層に分かれているとしていますが、死後の世界はそれだけではないとしています。単なる階層の違いではない質的に異なるより高貴な世界があるのです。それを「霊質界」といい、さらにその上にもう一つ質の異なる高貴な世界があるとしています。 同様に、身体についても、「幽体」、「霊体」(スピチュアリズムでいう「幽体」、「霊体」とは異なる)といった、それぞれの世界に適応できる質の異なる身体を所持しているということです。 よって、死後の世界は「霊界」しかないという見解は、「霊質界」以上におられる真に高貴な存在や神々との接点がない水準での主張になると思われます。


おわりに


 以上長文になりましたが、スピリチュアリズムの死後の世界観を概括し、検討してみました。スピリチュアリズムの考え方は伝統宗教の硬化した世界観に一石を投じたものとなったようですが、残念なことに地上的な宗教や近代科学思想や一般的な心情にかなり歩み寄った内容になっており、現在ふりかえると、霊的世界の説明としては少しおかしな説明になっている箇所がいくつかあるように思われました。

最後までお読み下さりありがとうございます。
みなさまの参考になれば幸いです。

テーマ1「死後の世界」 (3)仏教の見解

<ざっくり言うと>
現在の仏教は、教えと実際の行為にズレがある
◆教えでは霊魂否定なのに先祖供養や葬式に縁が深いとイメージされている
仏教の全てが地獄極楽を説くわけではなく、子細は各宗派で異なる

仏教のイメージは一般と僧侶で違う?(教義と習俗) 

ここで仏教とあげましたが、
身近な日本仏教の立場を整理してみます。

日本では、仏教やお坊さんと接する機会になるのは、葬式、法事、お盆などになります。
なので、仏教は葬式や人の生死、先祖供養に関係の深い教義をもつと想像してしまいますが

仏教はその教えにおいて
 「死後の世界を明言できない」

 「先祖供養は本来の仏教の教えではない」

となっており、
葬式などの法要やお盆で、先祖の霊の供養するイメージとズレがあるようです
仏教関連の本では、これを「教義と民俗(習俗)の違い」といって説明しており、イメージのズレのあることは感じているようです。
しかしこれは、ともすると「言っていることとやっていることが違うのではないか」と言われかねないこととなるため、葬祭、葬式を仏教として行うことの意味をそれぞれの立場で検討されているようです。

(※ 文献リスト参照)*1

仏教は「死後の世界」について答えない?

さて、その死後の世界についてですが
仏教において、とりわけ現在の日本の仏教で、

「死んだらどうなりますか」「死後の世界はありますか」

という質問を投げかけますと
インターネットなどで「仏教、霊魂」「仏教、死後の世界」で検索してもほぼ同じ話に行き当たりますが、「無記」というお釈迦さまのお話を出されて説明されることが多いようです。

簡単に言いますと

お釈迦さまは弟子に問われて、
死後の世界があるかないかとか
死んだらどうなるとか
そのような形而上的な問題にお答えにならなかった。
マールンクヤの毒矢の喩え(ニカーヤ 中部経典63 ほか)

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えっ?そうなの? (そうなんです。) 

死後について、わかりようもない、むしろ…

この話の解釈は立場によって若干の差異があるようですが、
次のようにまとめられるようです。
「人には死後のことなど分かりようもないのですから、
 考えても答えの出ない事柄に関わって悩むより
 自分を見つめて今を大切に生きましょう。
 そして、仏教の深い教えを学んでください」

となるようです。

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(なんかむずかしい…)

この話に限らず、仏教に関連のある輪廻転生、六道輪廻、先祖の霊の供養も、現在の仏教では、
 それは死後の世界という特殊なことを言うのではなく、
 まさに今の世界のことであり、
 みなさんのこころのありようを指しているのです

というお話にまとめられるようで、
霊や死後の世界という不確かなことには触れない、という方向での返答が多い
ようで、お話自体は現実的かつ堅実で立派な内容ですが、
突き詰めると現在の仏教自体は「死後」についての明確な説明ができない、と言っても過言ではないかと思われます。(浄土宗、浄土真宗など一部を除く、後述)

なお私個人の感想としては、お釈迦様は「対機説法」といって、聞く相手に応じて話の内容や説明の方法を変えていたとのことですので、「毒矢の喩え」「無記」を仏教全般の原理原則にしていいのかどうかは疑問にも思います、が、この話を全般化した仏教の説明が散見されますので、実際はそういう解釈なのかと思われます。

地獄や極楽って仏教じゃないの?

とはいうものの仏教にはもうひとつの答えもあるようです。

いわゆる、地獄極楽 という、

平安時代源信が著した「往生要集」という書物をもとに大いに広まった死後観があります。

現在、日本人や仏教信徒のイメージする地獄極楽のイメージの元ネタとなるようです。しかしながら、この「往生要集」は浄土教の考えから出ているもので、仏教の各宗派が地獄、極楽を認めているのではなく、他宗派では仏国土という言葉が極楽に近い意味で語られることがあるなどの状況のようで、地獄、極楽は仏教の一般見解とはいえないようです。
また、三途の川、閻魔さまの審判(十王信仰)は主に中国にもともとある死後観が仏教に加味され日本に来たようで、そういう意味では日本での仏教的な死後観は仏教本来の死後観ともいえず、仏教伝承の過程でその地域の文化が加わってきたハイブリッド(他の異なるものが組み合わされた)な状況にあるようです。 

宗派によって、死後は違うの?仏教って?

おおむね「無記」を重んじ、一部を除いて積極的に死後の世界を語らなくなった日本仏教ですが、死後観の子細は宗派によって異なるようです。

死後観で独自の見解をもつものとしては、

・浄土宗・浄土真宗…「往生要集」が浄土教からきていたので極楽往生が積極的に語られております。ただし浄土真宗においては、地獄、極楽のうち、「地獄」はないことになっており、地獄とはむしろ現世のことで、死後は阿弥陀様の本願にしたがって「お浄土」におもむくとのことで、死後の地獄は無いようです。

真言宗……死後の世界や霊魂についてわりと肯定的のようで、これは他宗派に比べてめずらしいことのようです。

なお、他の宗派は、仏教としての教義とされている
無記(不確かなものについては語らず)」
無我(何かが変わらずに存在するとは言えず、なので霊魂があるとか、
    死後の世界があるとか言いきることはできないものである)」
を尊重し、死後の世界や霊魂を積極的に語ることはなく、保留にされているようです。
結局、多くの宗派は必ずしも明確な死後観をもっているわけでもなく、時代に応じて考え方を整理するなど今後の課題となっているようです。

仏教、あるいは仏教的考えと霊魂学との死後観の違い

 ここで大まかに死後観の整理をします。

 仏教、あるいは仏教的考え水波霊魂学
死後の世界 「極楽」(仏国土)、「地獄」
あるいは生まれ変わる前49日間の中有界
「幽質の世界」
霊的身体「幽体」を作っている幽質で構成された世界
死後の世界の説明 [説明]
浄土教関連は「地獄」「極楽」
浄土真宗は「極楽」のみ
・多くの宗派では無記のため語らず、あるいは仏国土とおおまかに説明
・49日で新たな縁を得るという場合のその期間過ごす「中有界」が該当
[説明]
・死後の世界に住む霊魂の幽体の性質により結果として多くの階層に分かれた模様
・なお、もともと地獄はなく、死後の人間によりつくられたとのこと




死後どうなるか ・因果応報の考えが背景にあるため生前の行いによって報いを受けるとの信徒のイメージ
浄土真宗阿弥陀様の本願により全員極楽へ
・霊的身体である幽体のコンディションによって行く世界が異なる(死後の世界の法則)
・生前の行いの善悪が幽体のコンディションに直接関係するとはいえない

 

※水波霊魂学では、いくつかの霊的身体に言及し、人にとってもっとも身近な「幽体」のコンディションによって死後おもむく世界に違いが出てくることを示唆しております。
幽体のコンディションとは、善悪の行為やこころのあり方とは、無関係ではありませんが、直接の関係は薄いようで、霊魂によれば、こころも大事ではあろうが、霊的身体のコンディションを良くするということの理解が少なく、その理解がたいせつであるのに、とのことだそうです。(文献リスト参照)*2

 

この世や、今生きてある世界はもちろん重要なものですが、死後を考えるのでしたら、この世的な価値観だけでは語ることのできない様々なことも予想され、そのような世界の一端に踏み込んで学ぶことがあってもよいように思われます。

最後まで読まれた方には感謝の念に堪えません。

 

*1:

※ 文献リスト 1

「葬祭 現代的意義と課題」曹洞宗総合研究センター編・刊 2003年
「お葬式をどうするか -日本人の宗教と習俗 」ひろさちや著 PHP新書 2000年
Webサイト 現代の伝統仏教の「死後の世界」観 | 宗教情報センター 2014/10/18

 

*2:

※ 文献リスト 2
「霊的生命体として」水波一郎著 Amazonオンデマンド 2016年
「たましいの救い」水波一郎著 Amazonオンデマンド 2016年

 

テーマ1「死後の世界」 (2)キリスト教の見解

<ざっくり言うと>
キリスト教各派では諸説あり、統一見解を得るには至っていない
◆死後向かう世界はあるが最後の審判までの一時的な場所 
◆霊魂の世界や霊がどうであるかより、再臨、復活、最後の審判が優先的に話される

 

<目次>

はじめに

“死後の世界”の捉え方について、キリスト教各派では諸説有り、各教派間の統一見解を得るには至っていないようです。

 

ここでは、一般的と思われる見解を参考にしながら述べさせて頂きたいと思います。

 

死後の世界、それぞれ

人は死後、神の裁きを受け(私審判)、以下のような場所へ行き、キリストの再臨を待っているとされます。

 

● 天国:

神にまみえる場所。罪を犯さなかった者。または軽微な罪を犯したが、浄化された者が入る場所。または最後の審判で赦された者が入る。

 

● 煉獄:

地獄に堕ちる程では無い、軽微な罪を持つ者が入る。ここで責め苦を受け、魂が浄化されたなら天国へ入る事が出来る。
(この世の人間が、煉獄にいる死者の罪の軽減の為、祈りを捧げる事が有る)

 

● 辺獄:

洗礼を受けられないで亡くなった、原罪以外に他の罪は無い者が入る。洗礼を受けないで亡くなった幼児や胎児も例外では無いという。
(キリストの再臨・贖いによって救われるまで天国に行けない)

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● 地獄:

大きな罪を犯し、神に従おうとしない者が入る。燃え盛り消える事の無い劫火に焼かれる。

 

そして…世の終わりが…(最後の審判

そして、この世の終りが来た時、キリストが再臨し、全ての死者が生前の姿で復活します。

復活した人達は、キリストの審判を受け、天国、地獄へと行先を振り分けられます。

 

それを“最後の審判”(公審判)と言い、生前の行いを記した「命の書」に名前が載っていない人は、火の池に投げ込まれます。

 

この審判は、まさに最後のもので、これを覆す審判はその後、無いそうです。

 

キリストを真剣に信じ、「命の書」に名前が記され、地獄に落ちなかった人は、天から降って来る“新しいエルサレム”にて、永遠の生命を与えられ、神と共に住み、神の民に成る事が出来るとされます。

 

最後の審判”で火の池に投げ込まれると、永遠に救いは無く、終わりの無い苦しみを味わい続けます。だからこそクリスチャンは行いを正し、キリストへの信仰を深める事で、“新しいエルサレム”で神の民に成る事を目指すのかも知れません。

 

復活の思想は、新約聖書に書かれるキリストの弟子、ラザロの復活、またキリストが磔刑と成り、死後3日目に復活した事、または黙示録の記述に由来するものかと思われます。

 

キリスト教と生まれ変わり

キリスト教では、復活の思想は有っても、基本的に何度も生まれ変わるという概念は有りません。

 

キリストの示したかったこととは?

水波霊魂学の立場から言えば、キリストが示したかったのは、人は死んだら終りでは無く、死後も魂は存続する事を、キリストの復活並びに再度、昇天する事によって、示したかったのでは無いでしょうか?

 

2000年前の人達の知性には、そうする事でしか、神と人との間に有る“霊魂の世界”や“霊魂の実在”を説けなかったのでは無いかと思われます。

 

死後の世界と復活(霊魂学的考察)

◆ 善悪か、幽体の状態か

そして水波霊魂学では神の審判は無く、あの世の法則に従い、自らの幽体の状態によって相応しい世界に入るとします。

 

この世の基準で、罪を犯したから、必ずしも地獄へ落ちるのではなく、善い行いをしたから天国へ行けるという、単純なものでも有りません。

 

何故なら、この世の善悪は常に、その時代や国、文化によって変化してしまうからです。戦争では、人の命をたくさん奪った人が勲章を貰ったりもしますから・・・。

 

あの世では、上の世界に行けば行く程、霊的な意味での幸福度は増していきます。そして上の世界には限りが有りません。実在の霊的世界は無限とも言える程に、遥か上より、遥か下まで階層が分かれます。

 

上の世界に行くには、幽体の状態を健全にし、また強くすれば、幽体の輝きに応じた世界へ自然に上がっていきます。

 

仮に地獄のような世界に入っても、それは自身の幽体の状態に相応しい世界へ吸い込まれたに過ぎないので有って、かなりの努力や意志が必要では有っても、もし幽体の状態を改善さえ出来れば、そうした世界から抜け出す事も不可能とは言えないのです。

 

決して神が牢獄として閉じ込めている訳では有りません。

 

◆ 霊魂学から見た死後の再生

人は死後、あの世の存在に成ると、やがて幽体の一部が再生し、地上の胎児の中に入ります。

 

その後、成人し、老年期に入り、どんな人でもいずれ死を迎えます。再び霊魂と成り、幽体の一部が地上に再生します。

 

そうした事を繰り返し、人は誰でも複数の過去世を持っています。

 

キリストの再臨・最後の審判まで、何百年、何千年もあの世で、ただ、ひたすら待っている訳では有りません。

 

◆ なぜ、復活して裁きをうけるのでしょう?

しかし何故、人の死後すぐに私審判で裁かれた魂が、“最後の審判”(公審判)で復活させられ、再び、裁きを受けなければならないのでしょうか?

 

“死者の復活”とは、人が死後、地上での生活を卒業し、霊的生命体としての新しい生活が始まる事。また神の御光、恩寵を受ける事で、霊的に生まれ変わる事も不可能では無い事を示唆しているのでは無いかと思います。

 

もし仮に、霊魂としてのキリストが、あの世で実在し、救いの手を差し伸べて下さったなら、わざわざ肉体を復活させ、最後の審判を受ける必要は無いでしょう。

 

事実、霊魂としてのキリストは2000年前より現代まで、あの世の霊魂を救い、また地上の人達が真の救いを得られるよう、手を差し伸べ続けて居らっしゃいます。つまりキリストは、世界の終末の時だけでは無く、何度となく再臨されているのです。人はそれに気付いていないだけなのです。

 

最後に…希望をこめて

それでも“最後の審判”が有るとするならば、凡ゆる人が、宗教・宗派を超えた真の神を求め、全ての人に高級な霊魂方よりの御光が降り、邪は排され、地獄の魂までもが救われ、救いが完成される。そのような世の中、時代が到来して欲しいものと願います。

 

この世に法則が有れば、あの世にも法則が有ります。水波霊魂学では、人間の頭で考え、捻り出したものでは無く、あの世の法則を明らかにしようとしています。

 

あの世の法則に基づいて、あの世の入る世界が決まるだけですから、必ず◯◯教でないと救われないと言う訳では有りません。如何なる宗教・宗派・スピリチュアルの人で有っても、法則から逃れる事は出来ません。

 

幽体の霊的状態が良ければ自然に上へ上がり、悪ければ自然に下がる。ただそれだけなのです。

 

 

以上、死後の世界について、キリスト教の見解を簡潔に整理してお伝え致しました。皆様の今後の参考になりましたら幸いです。 

テーマ1「死後の世界」 (1)契山館の見解

今回は、水波霊魂学を提唱する契山館の「死後の世界」についての見解を紹介いたします。

<ざっくり言うと>
◆「水波霊魂学」とは水波一郎師が霊媒として霊魂から得られた知見をもととされた霊魂の学を指します
◆死後、肉体がなくなると、幽体という身体の質に応じた世界に行きます
◆幽体の性質とは善悪や性格よりも、幽体という身体に活力があるかどうかを指します

 

<目次>

はじめに「水波霊魂学」とは

 ここでの記事の記事のもととなる「水波霊魂学(みずばれいこんがく)」について簡単に説明致します。
「水波霊魂学」とは霊媒である水波一郎氏が高級な霊魂方から受けた情報をもととして、霊的な事柄についての見解をまとめられた独自の説となります。
※具体的な内容につきましてはこちらをご覧下さい。

では、「死後の世界」(1)契山館の見解 を以下ご覧下さい。

死 から 幽質の世界 への準備

死後の世界は存在します。

人は生きている間は肉体を使用しますが、死を迎え、肉体を失ってしまうと、幽体という幽質の身体を表面の身体として使用する事になります。

人が死を迎え、肉体を失うと新しい身体(幽体)に慣れる為に、まるで夢を見ているような状態でしばらく休みます。

 

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幽質の世界へ 

そして目が覚めると、いよいよ死後の世界(幽質の世界)ですが、人それぞれに行く場所が違うので、人それぞれになります。

 

人によっては、守護霊、指導霊といった意識の高い霊魂が迎えに来てくれるかも知れませんし、家やビルが立ち並んでいたり、賑やかに見える場所だったり、あるいは寂しげに見える場所だったり、あるいは至る所でケンカをしていたり、未熟な霊魂が迎えに来たり、と人それぞれになります。

 

なぜ人それぞれ行く世界が違うのか?と言いますと、死後に行ける世界は、幽体によって決まってしまうからです。

  

幽質の世界と幽体の性質

幽体が健全で、幽体の質も高級で、幽体から強いオーラを放っていれば、その幽体に相応しい高級な世界へ行く事になります。

 

逆に、攻撃的な念で幽体が傷ついたり、低い幽気が幽体に染みついてたりすること等により幽体が傷だらけで、活力が無く、幽体の質も低級でオーラも発していなければ、その幽体に相応しい低級な世界へ行く事になります。

 

これは死後の世界の法則によって決まります。 

 

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死後の世界の法則

物質の世界の物理現象が全て法則によって成り立っているように、死後の世界にも法則があります。

 

そして死後に行ける世界は、死後の世界の法則によって決まります。

 

神様や閻魔大王が決める訳でもなく、

悪い事をしたり罪を重ねたから地獄のような世界へ行くのではなく、

善い行いをしたり性格が良いから高級な世界へ行けるのではなく、

死後の世界の法則によって、それぞれの使用する身体(幽体)に相応しい世界へ行きます。

 

死後の世界での様子

死後の世界での生活も人や暮らす世界によって様々ですが、
死後の世界では食べる必要も眠る必要もありませんので、働く必要も寝る場所も必要もありません。
人によっては毎日遊んで暮らすかも知れませんし、下の世界へ入ってしまった人は争いが絶えないと思います。

 

物質の世界とは違い、死後の世界ではどんなに痛めつけられても死ぬ事がありませんので、
力の弱い人は1ヵ月でも1年でも周りの人たちが飽きるまでずっと痛めつけられる事になります。
死後の世界には、警察も居ませんし、法律もありません。
更に同じ階層には同レベルの人しかいませんので、
下の世界では争いを止める人もほとんど居らず、争いが絶えず、地獄のような世界だと思います。

 

一方、上の世界へ入った人は、何をしようと自由ですが、基本的に上の世界の人は霊的な進歩向上に幸福を感じますので、
自分自身の進歩向上や、補助霊や守護霊、指導霊として、物質の世界の人間たちの霊的な進歩向上のサポートをする生活になると思います。 

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幽質の世界で、更に

そして幽質の世界の中でも一番高級な世界まで行き、更に成長すると、
今度は霊体という身体を使用して、霊質の世界という更に高級な世界へ行く事が出来ます。

そして更に成長すると、今度は神体という体を使用して、神質の世界という更に更に高級な世界へ行く事が出来ます。

 

人間は誰でもいずれ必ず死を迎えますので、出来るだけ死後の世界の法則を理解し、死後使用する身体(幽体)を良い状態にしておく必要があります。

 

以上、死後の世界について、契山館の見解を簡潔に整理してお伝え致しました。皆様の今後の参考になりましたら幸いです。